no title
これを昔、授業でやったら「なぜ助ける必要があるのかわからない。俺は傍観者だから放置して5人が死んでも責任はない。でも切り替えたら俺の責任になる」と言った生徒がいて衝撃を受けた。確かにその通り。「5人の人に感謝されるメリットよりも、1人の遺族に責められるデメリットの方が大きい」と。 pic.twitter.com/BU9tmtMnMU
彼はひねくれていたから敢えて俺を困らせようとした可能性は濃厚だけど、彼が本気でそう思っていたのかはさておき、そういう意見が出てくる授業というのは「良い授業」だと思う。周囲も衝撃を受けていたけど、どう受け止めたのかは未知数。それが良い点であり怖い点でもある。授業はまさに生き物だ。
世の中は「良いか悪いか」という議論では済まないことも多い。特にオトナの世界では、「誰が責任を取るのか」「誰がカネを出すのか」という打算的判断やポジショントークが蔓延している。哲学的な正しさも、現実を目の前にするといかにも弱い。学校で教える正しさが世の中で通用しないことも多いのだ。
@hellohellock このトロッコ問題は誰もが納得できる答えを出すことは無理なんだけど、現在開発が進んでいる自動車の自動運転にはこの状況になった時にどうするかをあらかじめ教えておかなければならないという課題がある。トロッコでは載っている物は石だが車には人が乗るのでこれよりさらに難しい。
@GirlishStar @hellohellock なるほどこれでどちらを助けるかということを悩まずに済むわけか。
サンデル教授の授業では、これを路面電車に置き換えて自らが運転している場合を扱っていたけど、それでも同様に「俺は運転士であって整備担当ではないからブレーキが利かずに5人死ぬのは俺のせいではないが、1人いるほうに曲がったら俺の責任になるからそのままにする」という逃げ方はできると思う。
@hellohellock トロッコ問題はマイケル・サンデルが10年ぐらい前に再拡散してましたね。
幸せを数値化して量が多いことを善とする功利主義と、量や数では測れないとするカントの定言的道徳原理を対比させてました。
@hellohellock 例えば5人が助かるのがいいという人に対して「人を1人殺して5つの臓器を5人の患者に移植して救ったらどうか?」と質問すると、たいていの人はとためらいます。
それは命の価値を数で量ることはできないと考える人が多いからです。
人権というのはそういう考え方を出発点とした概念ではないでしょうか?
@hellohellock 「この回答に教師が衝撃を受けた」という事実に衝撃を受けましたわ。
@sweden0801 @hellohellock 同じ事思ってました。

日本に住んでいて、普通に生活しているなら、その答えが子供でも出てくる事は普通に想像出来るだろうと思います

ツイート用の文章なのか、本当に衝撃を受けたのか
後者であるなら、命の価値観云々以前にちょっと感性ズレてるんじゃないかなぁと
@tikuwa331 @sweden0801 @hellohellock たぶん想像できるだろうってことより
サンデル?って人の話を引用してるなら
色々回答あるなかで比較的珍しくない
答えじゃないかな?
ってことじゃないですかね(´・ω・`)
@GirlishStar この子は早くもそれを身につけた。将来有望かもしれんな。
トロッコ問題は、道徳・哲学分野の問いであって、脱線させるとか、大声で知らせるとかは見当違いな答えでしかない。
そして、どっちを選ぶのかより、答えを出すまでの、自分の考えや感情の過程を見つめることが大切。
私も、授業では必ず扱う問題。

ちなみに私は、切り替えられないでしょう。 twitter.com/hellohellock/s…
なんかコメント書いていってくれると嬉しい(´・ω・`)
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