
近年やたらに使われるようになった表現で、感動をもらう、与える、などいうのがある。じつに嫌な表現だと思う。いつから感動はデパートで買えるお中元のように、手軽にあげたりもらったりするものになったのだろうか。感動は自分の心の底から湧きあがってくるものじゃないか。
@MitsuNumano 勇気とか。命懸けのオリンピック怖くて勇気どころじゃねーっつーの
@MitsuNumano その通り!
@MitsuNumano 感動は自分が「する」ものだ。ギリ「させたい」までなら許容します。「もらう」って言う人は信用できない。
@MitsuNumano 木村浩さんならそんな面倒くせーことは言わなかっただろうね。
@MitsuNumano 「与える」って言葉を使うスポーツ選手は大嫌いです。何を偉そうに、と思います。
@MitsuNumano 私も嫌いです言葉が軽くて安易な気がします。
@MitsuNumano 感動はまるで押し売りのような状況で本当に気持ちが悪いです
@MitsuNumano 感動の押し売りは儲かるので
@MitsuNumano どうでもいいじゃん。時代が新しくなってるんだし。
新しいものを受け入れない姿勢は日本人特有のもの。老人だけかと思ってたんですがまさか若い世代にまで浸透しているとはね。
新しいものを受け入れない姿勢は日本人特有のもの。老人だけかと思ってたんですがまさか若い世代にまで浸透しているとはね。
@MitsuNumano 「感動をありがとう!」とか…口が裂けても使いたくないフレーズです。
@MitsuNumano マーケティングで仰る方、よくいますね。
資本論を思い出します。
資本論を思い出します。
@MitsuNumano 心を沸き上がらせてくれたことへの敬意が「貰った」表現を生んだのだろうから、まあそれは良いのではないかと思うが「与える」方は確かにね。ただこちらも最初は謙虚な意味で他者のために何かしたいというニュアンスだったのだろうと思う。TV的に使い勝手が良いし無難な答えとして定着した感じか。
@MitsuNumano 感動は人間の本能ですからね。(脳内報酬系)